ササキヨプロフィール
笹川 聖文(ササキヨ)

1998年生まれ。みずがめ座、A型。福岡県出身。福岡市に在住。
25歳。独身
西南学院大学商学部経営学科卒業。愛知県名古屋市の東邦ガスにて3年間社会人野球を経験。現在、母校である西南学院大学硬式野球部にて投手コーチを務める。
過去の経歴
・生まれは福岡県。三世代が住む拡大家族の元に生まれる。もの心着くころにはダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)が大好きで、当時スタメンマスクを被っていた城島選手に憧れを抱く。祖母からは城島選手に似ていることから「ジョー」と呼ばれていた。
・幼稚園の時は、とにかく運動が好きで家の中で暴れて障子を破りまくってました。(笑)
・小学生時代は近所の野球チームに入る予定でしたが、まさかの父親の転勤で2年間東京に住むことになりチームに入ることは先送りになってしまいました。東京では板橋区に住みましたが、たくさん公園があって遊び盛りの笹川少年には最高の環境でした。親にせがんで進研ゼミに入ったのにため込むという始末(笑)。東京に住んだ2年間はとにかく遊び尽くしていました。
・小学5年生になるタイミングで福岡に帰り、念願の野球チームに加入することになりました。1年生の頃から入りたかったチームに入れるようになったので、喜びを爆発させていましたね。始めた頃は試合にも出られなかったので、試合より練習の方が楽しかったようです。大会に負けて練習になった時には僕だけ喜んでいたような(笑)
・中学校時代では、初めて野球の厳しさを知りました。小学生のころはひたすら楽しく、バットやボール、グローブを持つだけでワクワクしていました。しかし、野球というスポーツには勝ち負けがあり勝負事。ひたすらに楽しかった野球も負ければ楽しくない。もっと上手になりたい、誰にも負けたくない。そんな気持ちが初めて芽生えたのはこの頃でした。
・高校時代は名門東福岡高等学校に特待生として入学し、野球部で甲子園出場を目指す。入部当初、お世話になっていた監督からは「東京六大学を目指して欲しい」と言われ最高に興奮したことは今でも忘れられません。それに東北楽天イーグルスにドラフト1位で森雄大さんが入団した直後でもあったため、「3年後俺もプロ野球選手に!」と心の中で燃えていました。しかし、そんな簡単に上手くいくものではないですね。1年生の夏の大会からベンチ入りするもののなかなか結果は出ず、自分たちの代になる頃には同級生に遙かに差をつけられ、3年生の春の大会後には投手をクビになる始末。なんとか3年生の夏の大会ではライトで出場するものの、甲子園はほど遠くあっけなく高校野球は終わりました。
夏の大会後、大学でも野球を続けるかを真剣に悩んでいました。高校で全く活躍できなかった自分なんか大学で通用するはずもない。そうやって考えていましたが、ちょうど西南学院大学が最近力をつけていると言うのを、当時の担任の先生から教えてもらいました。推薦や特待制度がない中で強くなっているというのを聞いて、もしかすると自分でもできるのではないかと思うようになりました。担任の先生の協力もあり無事に西南学院大学に進む事ができました。今まで生きてきた中で多くのターニングポイントがありましたが、この西南学院大に進むという出来事は僕の人生のおいて大きな意味を持つこととなります。
西南学院大に進み、衝撃的な出会いをします。それが現西南学院大硬式野球部監督の東和樹さんとの出会いです。あった初日に笑顔で握手され「一緒に頑張ろう、西南を強くしよう。」という熱いエールを受けました。このときの衝撃は未だに忘れられません。正直、高校野球上がりたてで監督と笑顔で握手するなんて想像もつきません。18歳、笹川少年は、一瞬でハートを掴まれました。この日のことは忘れたくても忘れられません。
大学時代は高校野球以上に野球に没頭する毎日を送るようになりました。高校3年の冬大学3年の冬まで4年間、アスリートに特化したジムにほぼ毎日通い体を鍛えました。とにかく下半身をいじめ抜かれた記憶しかないです。トレーナーさんがメニューを決めてもらえてやりやすい半面、ジムを辞めたときに自分で考えられなければヤバい!そう思いました。自分で決めて、自己責任でやる。思い切ってジムを辞めることにしました。そこからは様々なところから情報を集め、取捨選択し自分でトレーニングメニューを組み立て、自分の頭で考えるように。するといままで以上の球を投げられるように!!基礎的なトレーニングを3年間こつこつと積み上げ、そこに応用的なことが加わり一気にパフォーマンスが上がったのです。大学時代はトレーニングを習慣化し、基礎知識をたくさん学びましたね。
4年春には結果を出すことができ、投手三冠を達成しました。15年間の現役野球の中で一番結果が良かったんやないかな。そんな結果もあり、愛知県名古屋市の東邦ガスに入社することができました。左足の骨折もあり、なかなか思うように投げられない日々が続き本当に苦しい日々でした。マウンドに上がるのが怖かったな~(笑)。